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ユーモラスな表情の「風神雷神図屏風」や 紅白2種の梅を対照的に描いた「紅白梅図屏風」。 金屏風に大胆に描かれた琳派の作品は、 いつの時代も見る人の目を楽しませてくれますね。  琳派は特別の師弟関係にはない絵師や職人が、 時代を越えて引き継ぎ発展させてきた少し異色の流派。 「琳派を伝えたい」と思う気持ちを持った人々によって 支えられてきた流派…そのように言えるかもしれません。  時代を越えて愛されてきた琳派を、今度は漆器で。 平安堂でご紹介する作品は、琳派の大胆な構図はそのままに 漆ならではの深みある色合いで塗り上げた器やインテリアです。  「日本の文化を、日常に取り入れる楽しさを伝えていきたい」 そのような想いから、平安堂では “漆と琳派のある暮らし”をご提案いたします。
漆と、琳派のある暮らし。
           生没年不詳  当時、京都で「俵屋」という絵画工房を率い、 扇絵を中心とした屏風絵や料紙の下絵など、紙製品全般の装飾を制作していました。  皇室からご用命を受けて仕立てた作図や、寺院の障壁画を描いたり、 掛け軸、屏風といった様々な傑作を手がけたことから、 「法橋(ほっきょう)」という、絵師としての最高の称号を朝廷より受けております。 後世に残る作品を生み出しながら、その生涯は不明な点が多いようです。
琳派初期を代表する作品ながら、 日本人のユーモアな感性を世界に知らしめたと言われる国宝「風神雷神図屏風」。 古来、仏教絵画や縁起絵巻などで「千手観音の従者」として控えめに 描かれるのみだった風神と雷神を一対で表現することにより、「主役」として描き切りました。  その大胆な画風に多くの絵師が憧れを抱き、俵屋宗達が原画となった風神雷神図屏風は、 約100年後に尾形光琳によって模写され、さらに100年後には、酒井抱一によって模写されました。 この「風神雷神図屏風」を主軸として連なる絵師たちが、数百年続く琳派の主流となったのです。
琳派の風神雷神がユーモラスだと言われる所以は、その風貌にあります。 鹿の角や獅子のたてがみ、象の牙など、実在する動物のパーツを組み合わせることで それまでの鬼神のイメージが払拭され、親しみやすさが生まれました。 平安堂の「風神雷神之図」も、そのような風神雷神たちの表情を、細やかに再現しています。 色漆を塗り重ねることで生まれた柔らかいグラデーションと、立体感をお楽しみいただけます。  また、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」に使われているのは、 琳派最大の特徴として後の琳派作家たちに踏襲されていった技法「たらし込み」。 これは、塗った墨が乾かないうちに濃度の異なる墨を加え、その両者が交じり合う際に出来る 自然な形や複雑な濃淡によって画面を作り上げる手法です。 平安堂の品では、その絶妙な濃淡を金粉の厚みや研ぎ出しのバランスで表現いたしました。
             1558-1637年  刀剣の鑑定、研磨、浄拭(ぬぐい)を家業とする京都の本阿弥家出身で、 書、陶芸、漆芸、出版といった様々な分野で才能を発揮した芸術家。  書の世界では「寛永の三筆」という、当時最も優れた書家の一人に数えられました。 平安時代の古筆を学んで書法を進化させ、 アートのように“見て楽しめる”表現を生み出したのも本阿弥光悦その人です。
本阿弥光悦の書蹟の代表作。 平安時代中期、公卿歌人である藤原公任が選出した秀歌撰「三十六人撰」の和歌を 本阿弥光悦が書でしるし、俵屋宗達が鶴の下絵を華麗に描いた作品です。  鶴図下絵和歌巻は、約13.5メートルにもなる長大な巻物。 飛翔して地に舞い降り、羽を休めてはまた舞い上がる鶴の群れが 金銀の泥で見事に表現されており、そこに光悦の書が絶妙なバランスで配置され、 ひとつとなっている傑作です。
宗達が金、銀、泥(でい)で表現した 独特の色彩美の鶴。 平安堂では、銀蒔絵に漆を重ねることで 燻されたような深みある銀を表現致しました。  銀よりも深く、独特の風合いを醸し出す こちらの技法。 古典的な絵柄と調和した、 凛とした存在感をお楽しみいただけます。一方、金や銀一色で描いてみると 古典的な画風から一転、 モダンで軽やかな印象を与えます。  漆器という深みある黒があってこそ 引き立つ、シンプルな金と銀との調和も お楽しみいただけましたら幸いです。
            1658-1716年  17世紀後半から18世紀にかけて主に京都や江戸で活躍した絵師。 琳派を大成した人物として広く知られることとなりました。  優美な伝統を感じさせる大和絵の画風に、 ダイナミックな構図を取り入れることで、独自の様式を確立いたしました。 当時最大の画派だった狩野派とは一線を画し、 今なお琳派最大の絵師のひとりとして高い評価を得ております。
尾形光琳が初期に手がけた作品で、日本の古典文学「伊勢物語」を主題に描かれました。 平安時代の公家の雅な世界を、人物を省き、燕子花のみで表現したこちらの作品は、 “物語の最高傑作”としても今なお名高い評価を誇っています。  俵屋宗達の作品から継承された、大胆な金箔づかいとリズミカルな燕子花の配置や 群青と緑青のみの限られた岩絵具で燕子花の特徴を表現した画力が魅力です。
燕子花の群生を、手前から奥まで配置することで 金箔の中に遠近感と躍動感を生み出した光琳の構図表現。 平安堂の燕子花作品も、燕子花の鮮やかな風合いを表現するとともに 「燕子花図屏風」に描かれるリズム性を忠実に描きました。 漆器ならではの金箔を使った装飾や、Bowlに描いた構図の妙などもお楽しみください。
尾形光琳の、最晩年にして最高傑作と名高い作品です。 中央の水流を隔て、紅白の梅が向かい合うこちらの構図は、 一説には、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」を光琳が独自に解釈して生まれたとも。  「光琳梅」と呼ばれ、輪郭と花弁のみで描かれたシンプルな梅の花は 日本の美術界に大きな影響を与え、のちに日本中で流行いたしました。
老熟した白梅の「静」と若々しい紅梅の「動」の対比、 金屏風の「明」と水流の「暗」の対照的表現など、 様々なデザインがひとつの作品に交ざり合う「紅白梅図屏風」は、 見る者の解釈によって印象が変える、知的な作品と言われています。  平安堂の紅白梅図は、その構図を忠実に表現しつつ、 漆器の伝統色「黒」を基調といたしました。 日々の暮らしを彩るインテリアとしてお楽しみいただけましたら これほど嬉しいことはございません。
俵屋宗達と本阿弥光悦が、それぞれの才能を発揮し琳派の礎を築いた桃山時代後期。 ここで「風神雷神図屏風」や「鶴図下絵和歌巻」など、琳派初期の名作が誕生します。 それから100年後、これらの作品たちに魅了され、独自に画風を学び取ったのが尾形光琳です。 光琳が後世“琳派様式”と呼ばれる技術を大成したさらに100年後、 酒井抱一が江戸で琳派を再興させ、新たな琳派ブームを巻き起こしました。 それから100年後の明治時代、今度は京都で神坂雪佳がモダンな琳派の作品を発表。  琳派に惹かれ、琳派を愛した人々が、場所を変え、時代をも越えて「琳派を伝えたい」と願う気持ち。 琳派の変遷から、作品の数々から、そのような想いが伝わってくる…そのような気がいたします。  最後にご紹介するのは、そのような琳派の作品たちをひとつの器に描いたインテリア。 日本の文化を漆器というかたちで受け継いできた、平安堂だからこその作品です。